2016年8月15日月曜日

灯篭で魚も流してしまったか

暗くなると
より幻想的に
2016年8月14日(日)釣行 中潮
瀬戸丸 21号船 右舷トモ4番(右8、左8)
5:30出港 12:30納竿 14:10帰港
相模湾 タナ10-25m 波0.5m
曇り後晴れ 北東の風8-2m

メジ・カツオ 0

御巣鷹山の慰霊灯篭流しのニュースを見て、昨年灯篭流しをしたと思いだした。隅田川だが、今年は13日(土)という。その日はメジ・カツオ釣りに行く予定だったが、イベントは一年一回しかない。釣りは翌日にして灯篭を流して慰霊する。上さん・親父に加えて、今年は玉蓮黒安信士・俗名クロベエの名前も印した。ゆらゆらとゆっくり流れる幻想的な灯篭。二人と一匹も飲みながらはしゃぎながらスカイツリー越しに眺めているだろう。

期待で胸膨らむ出港準備
慰霊もしたことだし、満を持して相模湾のカツオ釣りに。振り返ってみると昨年は一度もメジ・カツオには行っていない。2014年には4回行ってノーヒット。キハダマグロを釣ったのは2013年9月まで遡る。デビューした2012年にはキメジもカツオも釣っている。今年はカツオが大量に釣れていて、マグロの魚影も濃く、5年ぶりの好調さだという。剣崎の瀬戸丸でも、昨日も船中120匹のカツオで早上がりしたというから、出船前の喧騒も明るい話題が多い。

良くある話だ。凹んだ日を選ぶというのは。本日の釣果はカツオが0-1本で船中5本。昨日の5-15本から一日にしてこの状態。探索しながら西進して、伊豆大島の北、初島の東沖で開始するが、喰わない。群れを追って船団が形成されるがどの船もヒットは少なく、すぐに散開、再探索に。何が気に入らないのか口を使わないというか、群れを船団で囲いきれないというか、のまま10時まで。後半になって船中ポツポツとアタリが出たが、俺は結局ノーヒットで終了。

明るい兆しもある。昨年までは船中でアタリがなかったが、今年はともかく多い(他の日は)。キメジも船中3本釣れた。一人が格闘中の待ち時間に、船長がスゲエスゲエと騒ぐので魚探を除きに行ったら、マグロ魚影で真っ赤だった。釣り人も混んでいて、誰かが格闘中には他は仕掛けを降ろせないのが残念。マグロも当たり年になるだろう。ソバを喰いながら、「まぁ、カツオをゴロゴロ持ち帰っても処分に困った事だし…」と言い訳しながら、「次はマグロバッグ持ってくるかな」、と再戦を誓って船宿を後にした。

シマノ BJSアオモノ165+B 改 + シマノ オシアジガー5000P PE8号
天秤マグロスペシャル80号 16-24号 2-4.5m 1本針

2016年8月8日月曜日

富士と言えば…

山頂は遠く見える
7日(日)は富士スピードウェイに。Super GTというレース観戦。30年ぶりだろうか。当時はグランチャン呼ばれていたはず。市販車ベースのレースで人気が高い。GTRやレクサスやNSXという日本車に加えて、ポルシェやベンツやランボルギーニなど外国車も増えた。

コース自体が大きく様変わりした。メインコースに加えて、ドリフトやらジムカーナやらトヨタ講習やらのサブコースが周囲に増設されている。当日はこれらのサブコースが駐車場にしつらえられていて、かつてのような入場待ち大渋滞ということはなかった。朝のフリー走行で久しぶりの爆音を楽しんだ後は、サブレースが続くので一周4.5Kmのコースに沿って散策。グランドスタンドは2階建てに、ピットは3階建てに、それぞれ整備され、第1コーナーにもスタンドが増設された。全て車椅子も観戦しやすいようになった。トイレも見所コーナー各所に常設されていて、仮設トイレ時代を知る人も減ったろう。パドックのあるコースの内側には立派なレストランや駐車場も。その一つはかつて池だったはず。快晴で暑い。富士の裾野からみる山頂はまだ遠く見える。日に焼けた。

レースそのものも灼熱地獄で大変だったろう。スタートだけ動画撮影した。最初の一団がGT500で、後から続く一団がGT300だ。その違いやレースの経過は記事に任せる。GT300は上位が近接して白熱バトルが展開されたが、勝ったのはBMW。これまで常勝していたベンツは精彩を欠いた。GT500で勝ったのはIMPUL GTRだった。大差をつけるぶっちぎり。このチーム、監督は星野一義。30年前ドライバーとして一世を風靡していた。彼も俺も現役ではなく監督のお年頃というわけだ…

2016年8月6日土曜日

歩安と黒安

立派な葬儀
立派な棺で最期の一枚
クロベエの遺骨を引き取ってきた。

葬儀の模様を写真に収めてくれた。立派な葬儀と棺だ。

骨壺も立派なものだ。小型犬用の一室に焼香台とともに安置されていた。

戒名はないが、自分で勝手にこう読んでいる。「玉蓮黒安信士」。上さんの「玉蓮歩安信女」にならった。

ホームで安置
仏壇が狭くなってきた
連れて帰り、仏壇に供えた。歩安は飼ってきた2頭をいずれも途中で手放さざるを得なかったことを後悔していた。クロベエよりも先に逝くとはついぞ想定だにしなかった。だが最期まで添い遂げたことに違いはない。

歩安が黒安をしきりに撫でていたり、黒安が走り回ったり、ゴロゴロ背中を押しつけたりする様子が浮かぶ。

毎朝の焼香時に、呼びあげる名前がまたひとつ増えた…

花火のレクイエム

立派な部屋で一年
切ない一週間だった。8月1日(月)、駅への出勤途中に携帯が鳴った。7時半、ろくな電話ではない。老犬ホームからだ。クロベエが死んだ。一週間前見に行った時には寝たきりになっていた。それでもその状態になってから半年生きる犬もいるという。8日で1年契約が切れる。そこで今週末6日には契約を1年延長する予定だった。この1週間で急速に衰弱したらしい。Webカメラではどこか痛むのか時折鳴いていた。仕事は休みに。長男Tと次男Kと嫁Aにメッセージを送り、ホームへ向かった。

穏やかな表情で
部屋に設えられた台に横たわるクロベエ。穏やかな顔だ。体は硬直し始めている。毎月の検診では病気にはなっていなかったので、老衰だろう。シェパードと柴のミックスなので、小さな大型犬か大きな中型犬というサイズ。享年15歳。大往生だ。食事に散歩、シャンプーに診察。家では到底成しえなかった至れり尽くせりの1年になった。安らかな顔が物語っている。苦しむ期間が短くてよかった。それにしてもなんというタイミングだ。安くはないホーム。クロベエはもう延長するまでもないよと気遣ってくれたのかもしれない。それともそう思った上さんが連れていったか…

早出のスタッフが息絶えているのを発見してすぐに電話をくれたのだった。9時に行くとすでに焼香も数本立っていた。10時開店だが、すでに店長もスタッフも5名ほど集まってきている。皆、泣きながら、焼香したり、生花を手向けたり、さすったりしている。泣き崩れたまま動けない人もいる。ここに預けて良かった。クロベエはこの一年店の人々皆に愛され、近隣の人々にも可愛がられていた。月々報告される写真と食事・散歩・排泄記録と様子を記した手紙からも、幸せな一年だったことは読み取れていた。引き取るための大ダンボールや氷まくら類も車に準備していたのだが、そんな店の人々の様子をみて、火葬も店に任せることにした。子供たちからは何の連絡もないので、俺一人よりも、この店の人たちに見送られるほうがクロベエも本望だろう。店長とは遺骨を6日に引き取る旨決めて、さすって焼香して最期の別れをして、各スタッフに礼を述べ、店を後にした。4日(木)には荼毘した寺からその旨のはがきが届いた。

夕焼けのベイブリッジで花火待ち
2日(火)は、みなとみらいへ神奈川新聞花火大会に出かけた。この大会は約20万人で賑うだけに派手だ。前半は情緒豊かに、後半はサザンや矢沢など国内外のPOPに合わせて、これでもかと言わんばかりに連発する。開いて消えるまでにクルクル色が変わる、まるで巨大なミラーボールのような花火には驚いた。この豪華さなら、上さんは大はしゃぎしただろう。その横で連れ出されたクロベエはガタガタ震えていたはずだ。でかい図体とは裏腹に気が小さく、雷と花火の音が大の苦手だった。期せずしてクロベエの追悼花火に。ゆずの栄光の架け橋に合わせた花火を見上げながら、そんなこんなを思い出していると涙が出そうに。涙腺がゆるくなったのは、悲しみが増えたからか、年のせいなのか… 大会のファイナルは音楽も聞き取れないほど、これぞ日本の花火という圧巻さ。飲みながら大はしゃぎする上さんの隣で、クロベエは震えながら見下ろしていたに違いない。よい追悼になった。

永遠なれ
今日6日(土)、クロベエの遺骨引き取りに行く。しばらく上さんと親父の仏壇に供えて、埋葬場所を探そう。若い頃、骨のある男になりたいとは思っていたが、今や骨を埋める男になっちまった。2年前には上さん、昨年は親父、そして今年はクロベエ。いずれ婆さんや、もしかするとばあばも、埋めることになるのだろう。終活はかなり進めたが、そういう奴ほどなかなかくたばりそうにない。自分では自分の骨を埋められないのが残念だ…