2015年4月30日木曜日

掛ける喜び、分かつ喜び


始めポツポツ…
2015年4月29日(水、休)釣行 若潮
喜平治丸 8号船 右舷トモ5番(右11、左10)
6:30出港 13:30納竿 14:00帰港
城ケ島南沖 水深60-80m
曇り 風ほぼ無し 波0.5m

マルイカ 10匹 胴長15-17cm
ムギイカ 6匹 胴長15cm

前回のムギイカ貧果を挽回すべく、東伊豆の釣果をモニターしていたが、今一盛り上がらない。一方、江の島沖や亀城根に続いて城ケ島沖でマルイカが始まった。剣崎の船宿は早くから試釣りしていたが、開始に慎重な喜平治丸が始めたということは大外れはなかろう。今季初めてのマルイカ釣行へ。料理店Oに持ち込んで新鮮なイカをつまに飲むのが目的なので、ムギでもマルでもいい。

少し増えても…
総勢21人と大盛況の8号船。3号は依然好調なヤリイカ、1号は仕立てで埋まり、マルイカ2艘出しにできなかったらしい。飛び入りが多すぎて混雑の収拾に苦労したのか、今週から予約乗合に。20人で打ち切っていたようだが、知らずに来た人に席を追加して出港。若いが腕のいいマキオ船長の操船。曇りで微風。防水・防寒着上下を忘れた。尻が濡れて墨攻撃に白いジャージを汚されたが、暑くも寒くもない。もうすぐ水着釣行だ。

なかなか爆発とはイカず…
マルイカは難しい。仕掛けを落とせば乗るイカではなく、誘って興味を引いた獲物にちょっかいを出すイメージだ。なのでうまく誘わないと触ってこない。触りがあっても放すのも早いから掛けられない。2-30mの浅場ならタイムラグも少ないからまだしも、6-80mの深場だと触るぞと予想してシャクらないと掛けられない。つまり、アタリを待つのではなく、アタリを導く釣りだ。しかも小型でアタリも極めて微妙。これがスルメやヤリと大きく異なる。ゲーム性が高くなり、それが好きでやり込めている人達は、アタリを導くのがうまい。そのテクは無数にあり、年々進化する。見様見真似や雑誌で仕入れた誘いでアタリを出そうと悪戦苦釣。たまに奏功して掛けた瞬間が嬉しい。誘いが決まったのか偶然なのか正確には不明なのだが、決まったと自己満足すれば良い。一日を通してポツリポツリとムギイカ混じりで16匹。船中4-47。20以下の人が半数だが、トップの半分に満たないようではまだまだ。

16匹で納竿
ともあれ16匹あれば喜んでもらえるだろう。船宿ラーメンを急ぎかきこんで料理店に車を走らせる。道中何度か電話するが応答がない。休日は休店らしい…。行先を変更、Rさんに10匹引き取ってもらう。裾分けを希望されていたが数が稼げないと断っていた。「店が休みで残念だったねぇ」と嘲笑なのか、転がり込んできたイカに満足なのか。ともあれその満面の笑みが嬉しい。

バイオインパクトマルイカ165M+幻風 PE1号
錘50号 直結・直ブラ5本針、ブランコ5本針

2015年4月26日日曜日

選択ミスは何に

船宿土産が豪華
2015年4月25日(土)釣行 中潮
平安丸 8号船 右舷ミヨシ2番(右7、左7)
6:30出港 14:30納竿 15:00帰港
小田原沖~真鶴沖 水深40-80m
晴れ 北東の風2-5m 波0.5m

ムギイカ 6匹 胴長15-20cm

貧果でも晩酌にはちょうどいい
東伊豆でもムギイカが始まったと聞き、昨年の楽しい釣行を思い出す。昨年は内容良く84匹も釣って裾分けに苦労したので、今年は釣れたら飲食店にもらってもらおうと目論む。最近の釣果を調べてみると真鶴の宿が高位安定、小田原の宿はパッとしない。真鶴に行くつもりでタックル準備。金曜夜の宴会終了後そそくさと帰宅したが、遠く朝早い真鶴に行くには睡眠時間が不足。まぁ小田原でもなんとかなるだろう、昨年爆釣も同じ宿だし、と予定変更。

べた凪は久しぶりだ
1投目から1匹取り込んだが、反応の少なさを予感。群れが大きく濃い日とそうでない日は投入前の操船で類推できる。探索や位置決めに時間をかけるこの日は後者。2時間弱で3匹。平素は数を伸ばす手釣り組も苦戦。要するにイカが少ない。飲食店に持ち込みは早々に諦め、息子家族に喰わせるイカの確保に目標を大幅下方修正。この言葉、今にしてみれば業績目標の下方修正を思い起こさせるが、仕事のことは露とも思い起こさせないのが沖釣り船上の最大の魅力だ。南へ転々とポイントを探る船長。船中で空振りやポッツンが続く。誘いや仕掛けを変えてあれこれ試すが奏功せず。イカがいないのではイカんともしがたい。

出船前。この時間が好きだ。
後は濃い群れに遭遇するか、活性の上がる時合に期待するしかない。幸いなことに、快晴でそよそよの風。暑くも寒くもなく気分爽快。探索・移動中ウトウトしたり、SNSを楽しんだり。投稿やチャットをこれだけ楽しんだ船上は初めてだ。元来忙しいイカ釣りで、スマホをいじっていては釣果は出せない。しかし、これはこれで船上の楽しみ方の一つだな、と妙に清々しい。イライラしたり、焦ったりすることがなくなった。沖釣り経験を積んだからか、年のせいなのか…。

ザルからあふれるはずが…
結局濃い群れも時合もなく、6匹で終了。船中1-19。普段裕に100を超える手釣り師でも20に届かないのだから船宿にとって最悪の日になった。小田原名産のアジの開きをお土産に持たせてくれる、しかも冷凍品ではなく新鮮な干したてを5枚も。真鶴の宿も伸び悩んだようなので、結局この日のこの釣り物を選んだことが失敗ということに。同じタックルで剣崎のマルイカか、そうでなければ洲崎のヤリイカ、久里浜のマダイのほうが釣りとしては楽しめたろう。釣り以外の船上の楽しみ方を発見させてくれた天候に感謝。

シマノバイオインパクトマルイカ165M + シマノ幻風 PE1号
錘50号 スッテ直結・直ブラ5本
錘60号 11cmプラヅノ直結8本

2015年4月19日日曜日

40年封印の記憶

5、6年前だったか、犬どもが傷めた和室を指さして、上さんが言った。「畳、おばあちゃんがくる前には張り替えてな」。おばあちゃんとは俺のお袋のことだ。「張替はする。けど、ばあさんは面倒みんでええやろ。これまで何の助けも受けとらん」。一緒になって25年超、貧乏でも悲しくても辛くても、援助は物理的、経済的、精神的に一切受けなかった俺の本音だ。「そうはいかん。いずれ元気なくなったら、ここで一緒に暮らすねん」。街で認知症や体調不良の人を見かけると放っておけない、情が深く性根のやさしい奴だった。アル中になって壊してしまっていたが、断酒して2、3年が経過し、徐々に本来の上さんを取り戻しつつあるのが俺には何より嬉しかった。「ばあばも身寄りがなくなったら、まとめて面倒見たったら。子供部屋を姥捨て部屋したらええやろ」と心配しているであろう上さんのお袋のことを気遣った。ばあばには救われてきたこともある。「そんなんあんたに頼める立場ちゃう…。でも、ほんまにええの?」と何度も確認しながら「ありがとう。おばあちゃんとばあばと一緒に暮らせたら…」と大泣きしていた。アル中の宿命で絶縁状態にあったお袋との関係修復も遠くなさそうだと当時は思っていた。

顔を逢わすのは15年ぶりだろうか。そのお袋が兵庫から遠路おもむろにやってきた。昨年上さんの通夜・葬儀にも来ず、弔電や香典を寄越すわけでもなかったお袋が。後に寄越した手紙には「あなたにも散々苦労をかけた挙句、しまいにはこれかい!という思い」とあり、死者を悼むどころか罵るものだった。悪妻に苦労させられ続けた息子もこれで解放されると考えているようだった。それでなくとも張り裂けそうな胸の痛みに加え、怒りを通り越した暗澹たる思いにさせられた。息子はいくつになっても誰よりも母を慕っていると考えるのが、世の母親というものなのだろう、と思い直した。返信には苦労させたのは俺で支えていたのが上さんである旨したためた。以来、従来と同様に、音信を取っていなかったのだが。

訪問前の電話では「今のうちに孫たちを見ておきたくて」と理由を話していたが、目的はそんなことではあるまい。16日(木)と17日(金)は取引先との会食もあり、いつも通りの深夜帰宅・早朝出勤でかまえない。19日(土)、次男夫婦・孫と併せ五人で朝から墓参り。レストランでとった遅い朝食中「葬儀にもこれなくてすまんかったな」と。それも言いたかったのだろう。ただし相変わらずプライド高い人だ。子や孫には聞かれたくはないのだろう、二人きりの一瞬だった。「かまわん。気にしてない」とそっけなく応じる。察したのか息苦しかったのか、午後には子や孫は連れだって外出。お袋はようやく本題二つを切り出した。

「父さんをあの墓に入れてやってほしい」。これは構わない。お袋が嫌がらなければそうしてやろうと考えていたことだ。「T(俺の妹)から、あんたが二回に分けて墓代送ったと言ってたと聞いたけど、私にはその覚えがないねん」。叔父(お袋の兄)の葬儀を思い出した。通夜後の飲食中、「お金送ったのに墓立てずに何に使ったん?」と上さんが聞き始めた。「こんな席でそんな話をするな」と怒り、話題を即座に打ち切ったお袋。場をわきまえずに聞くほうも聞くほうだが、相変わらず世間体ばかりを気にするほうもするほうだ、とあきれる俺。険悪な空気だったが、覚えていないらしい。二回目は俺自身で振り込んだが記録を探すのもばかばかしい。今更20年以上前の話をしても水掛け論になるだけなので黙殺。「親父を俺の墓に入れるのは構わん」とだけ応じる。

「もう一つな、会社に遠隔扶養の手続きして欲しいねん」。何を言っているのかしばらく理解できなかった。そんな手続きあったか。会社に何の関係があるのか。それして何になるのか。俺やお袋に何を意味するのか。と考えを巡らせてようやく思い至った。要するに生活の面倒をみてくれと言っているらしい。相変わらず遠回しな言い方だ。湾曲さに思わず舌打ちがでる。同時に胸の奥底に封印していたことが40年ぶりに堰を切ったかのように脳内を駆け巡った。そうだ、俺はこの人が嫌いだったんだ。幼少から厳しく躾けられた。それ自体は感謝すべきことだ。実際、良くも悪しくも俺の土台を形成している。小学生の頃は勉強もスポーツもした。成績も良かった。期待に応えた。だが褒められたことはなかった。ハグされた記憶がないことには最近気づいた。いつも至らぬを叱られるか、次の期待を課されるだけだった。優秀さを自慢げに近所に話す様に、そう育てたのよと鼻高々な様に、強い嫌悪感を持った。世間体と自尊心を満足させているだけに思えた。俺はその道具だ。中学では反抗してグレた。家を出たくて寮のある高校を選んだ。以来、頼らず世話にならずと決めて、戦ってきた。学生時代の経済的支援は、就職後10年かけて返した。就職後、支えてくれたのは上さんだ、お袋じゃあない。ありがたいこともあったはず、と思い起こす。出汁巻が旨かった。茶碗蒸しが旨かった。松葉ガニが旨かった。小学校でタバコを始めてもなじることなく諭した。暴走して補導された警察からの身元引取り時も黙ったままでいてくれた。裁判所でもそうだった。女性トラブルも知らぬところで解決してくれていたらしい。当時は「頼んじゃいねぇ」と嘯いていたが、さぞ心配させたことだろう。それでも、俺はこの人を好きではなかったんだ。そして、それは今でも。

今年に入って仕事が減り、年金だけでは生活できず、先行き不安になったらしい。幸いまだ元気で思考も言動もしっかりしている。激動の昭和10~20年代に成長期を過ごしたからだろう、この世代の人達は芯が強い。ばあばもそうだ。奈良で一人気丈に暮らしている。身寄りを次々亡くしたばあばの面倒を見てやる必要があるかと思案していた去年の話を妹から聞きつけて、なんで私でなく向こうなのかといぶかった節も伺える。こういうことははっきりさせておく必要がある。冒頭の上さんの話をする。「ばあさんとばあば、まとめて面倒見たろという話はあった。それはあいつがおってこその話だ。あいつを死なせてしまった今となっては、俺に面倒みる気力がそもそもない。会社を辞めるのもそう遠くないし、借金まみれで財力もない。早く一人きりになって自分を殺さんようにのんびり細々と生きていくだけや。ばあさんであれ、ばあばであれ、もはや扶養はできん。」

また5人で馴染みのもんじゃ焼き店での夕食。考えを聞けてすっきりしたのか、お袋は落胆する風でもない。次男Kが興味本位に俺の幼少期の様子を聞くものだから、お袋は楽しげに自慢話を披露する。聞いていられない俺は、孫娘や嫁と別の話題にする。日本酒をハイペースで重ねたが、まるで酔えない。寝ても夜中に目覚める。妙な緊張で今年一番くたびれた週末。釣りにも行けなかった。頭を渦巻く考えをこの記録に落として少しすっきりした。ともかく遠路来てくれたんだ。交通費は負担しよう。今日19日(日)新幹線駅まで送る。

2015年4月12日日曜日

美女達の一言

午前の雨風で土曜にしては釣り人閑散
2015年4月11日(土)
忠彦丸 和彦丸 右舷ミヨシ1番(右10、左9)
12:30出港 15:50納竿 16:10帰港
横須賀沖 水深15-25m
曇り 東の風2-3m 波0.5m

マアジ 21匹 18-25cm
イシモチ 4匹 23-28cm
ウミタナゴ 1匹 20cm

なんとか食材確保
Jさんから「沖釣りに連れてって」との申し入れ。断るわけがない。初めてとのことなので、半日船を勧める。午前にアジを釣って馴染みの店に贈呈し、夕刻宴会する計画。ところが、午前は雨で強風の予報。二度と乗らないって思いをさせたくないので釣行中止。どうも連れだっての釣行を計画した日に限って天候に恵まれない。…行状は悪くないハズなのだが。宴会だけJさん夫妻ともう一人のjさんの四人ですることに。そのjさんから「釣りたて新鮮なアジ、楽しみ~」とのメッセ。ぐぐぐ、こう言われて、じっとしていられる釣り師はいなかろう。雨風収まる午後船に飛び乗る。

開始から2時間。…渋い。小アジが3匹。船中でもポツンポツン。アジがコマセに寄らず、薄い群れが時折回遊してくる印象。ハリスを細めても奏功しない。食い気がないようだ。ヤバイ。せめてツ抜けしないことには、恥ずかしくて持ち込むのも憚られる。3時間半の実釣中、どこかで時合があるはず、と信じてひたすらコマセを撒く。15時になってようやく喰いが少し良くなる。これを逃してはならぬと、手返し早めて連釣。時合は30ほどだったが、なんとか20匹以上を確保して安堵。帰港後はのんびりしていられない。高速飛ばして開店前準備中のマスターに。なんとか間に合った。

いや~、酔った酔った。で、
この後のフライやカツは撮り忘れ。
とんかつ店なのだが、マスターは潜りや釣りに詳しいこともあって仕入れの目が効くから、刺身が旨い。トロ、カンパチ、マダイ、ヒラメ、アカムツ、ホタルイカなどなど高級品のオンパレードに、大衆魚アジが負けじと主役。年が近いからか四人は話題にも事欠かない。今が旬のぷりぷりアサリに舌鼓。カニクリームコロッケやロースカツに混じってホクホクのアジフライ。これで酒が進まぬわけがない。5時間も居座って至福の時間。集まってくれた三人とマスターに感謝。

ミサキ ライトマスター + シマノ 幻風 PE1号
天秤30cm ビシ40号 クッション25cmすぐ外す 2号2本針 1.5号1本針

2015年4月5日日曜日

桜と城と墓

この枝垂桜はピンクが強い
城にはやはり桜
友人Mの4回忌に大阪へ墓参り。新幹線とホテルがセットの格安キップ。安いのはいいが、朝が早く眠い。その分昨年回れなかった大阪城を午前中にジックリ見て回った。秀吉築城時代に比べてかなり縮小されているというが、それでもそのスケールの大きさは日本有数だろう。晴れて桜も満開。良いタイミングだった。

今年は6人が集まった。去年は上さんの死から2ヶ月しか経っていなかったからか、ダブって滞在中ずーっと胸が痛かった。今年はその胸の痛みが無かった。薄情なのか。いや、朝晩の焼香と月命日毎の墓参りで、気持ちの整理がついたからだろう。Mの墓前で冥福を祈りつつ、あの世で散々飲ましたってくれと頼む。

冥福を祈り合掌
城を背にのんびりするのも良い
夜は、美味い魚で酒を煽り、かつての悪友どもと昔話で盛り上がる。全く忘れていたが、若かりし頃の行状を思い起こされると、ほんま、無茶苦茶やったなー、と思う。と、関西弁になってまう。2軒目はスナックでカラオケ。一人4ー5曲も歌ったろうか。威勢のいい曲にした。「瞳を閉じて」は選ばなかった。まだ無理だ。いつか歌えるようになるだろう。

いつものように記憶を飛ばしているだろうが、面倒みてくれた友のFに感謝。