2010年12月31日金曜日

2010年スタティクス

昨年同様、今年の釣行を振り返る。
  • 記事書込数=72 昨年の60を上回った。時事・記事の書込がそれぞれ13と4を含む。
  • 釣行回数=55 昨年45。月3回が週1ペースになっちまった。ちと多い。
魚種別釣行数は表にして昨年と比べながら、印象を思い起こす。
釣り物
2010年
釣行数
2009年
釣行数
備考
ウィリー
釣り物に困った時に。
コマセマダイ
11
11
昨年と同数とは驚き。
シロギス
癒しには一番。
スルメイカ
半減。今年は乗りが今一だった。
テンヤマダイ
2010年後半にデビュー。
ヒラメ
慣れるにつれ、釣果落ち…。
マアジ
10
ジャックの名にかけて。
マルイカ
09年無釣行の反動も腕悪く…。
ヤリイカ
10年は反応少なく、半減。
ワラサ
スポニチ掲載が印象的。
合計が56になるが、マルイカ・マアジのリレー釣りが一回あるため。昨年はイカ類が最多だったが、今年はテンヤを始めたのでマダイが最多になった。

今年のベスト・ワースト釣行としては、
が、釣果とは無関係に印象の深さで選ばれよう。今は冬籠り中の上さんだが、来年はどうなるだろう。

2010年12月30日木曜日

ツンツルテン

2010年12月30日(木)釣行
幸栄丸 7号船
鹿嶋沖 水深25-35m 長潮
曇り 北東の風3-5m 波1m

ヒラメ 0
 
「タイかヒラメかイカかどれがいい?」に「ヒラメ」で決まった今年の竿納め。外川の三浦丸に電話したが、予約一杯で取れず。鹿嶋の幸栄丸を予約。潮が流れなさそうだが、久しぶりに風が収まる予報なので大混雑。大型船とはいえ、15名が乗り込む左舷トモ3番に割って入る。

一流し、二流し…、船中アタリなし。劇シブでいやーな予感。「竿納めにふさわしく全く喰わねーなー」と船長も笑わせながら嘆く。中盤から後半に潮が流れて小型がポツリポツリ。潮上になる右舷にアタリが多く、結局船中0-9。俺は案の定ボウズで終わる。アタリもなし。誘い、タナの上下、ハリス長、その他あれこれ試みるも奏功せず。ヒラメで一日通してアタリゼロは初めてだ。外道も含めて全くのツンツルテン。前回も今回もあたり舷を外して、どうもここは相性が良くなさそう…

船長の気遣いだろう、型見ずの人々にトップの常連さんからお裾わけ。情けないが、ありがたく頂き、から揚げに。なんとも締まらない竿納めになったが、今年も丸一年無事に釣りができたことに感謝。

がまかつ がま船真鯛50-330、ABU 5500C PE2.5号
ハリス6号80cm-100cm、ステ糸4号50cm、錘80号発光小田原型

2010年12月28日火曜日

もう少しアジを調達するはずだったが

2010年12月27日(月、休暇)釣行
忠彦丸 第7倖運丸 午後LTウィリー
中の瀬~横須賀沖 水深30-40m 小潮
晴れ 南西の風3-6m 波0.5m

マアジ 1匹 37cm
ゴマサバ 12匹 リリース・贈呈
ハナダイ 1匹 20cm 贈呈

午後には風が収まる予報を見て急行。空いていれば小アジを泳がせたろうと目論んでいたが、平日にもかかわらず出船直前にあれよあれよと集まり、左舷8人のトモ2番。大型船とはいえ、泳がすわけにはいかない。それ以前にサバの猛攻で、アジが釣れない。反応はあるが口を使わない。2、3日吹いていたので底荒れか。またサバかと取り込んだのは37cmの大アジ。デカ過ぎて泳がせない。口を使うのは大アジばかりのようで、2度ほどそれらしき引きも、巻き上げ中にバラす。横須賀沖では両トモに30cm前後のマダイが。それらしきアタリの一匹はハナダイ。隣の慣れない親子連れに贈呈。もう一匹は巻き上げ中に針外れ。アジ用の小さなムツ針では掛けるのは無理だったか。懐にやさしい半日釣りだが、船中6-15はいかにも渋い。アジだけ持ち帰る。オマツリで擦れたのか、道糸の高切れで天秤・FL60号ビシ・クッションをロスト。LTウィリーとはいえPE1号では危険だ。

シマノ BJSライトゲーム64 I-155+B18、アルファタックル 船PH200 PE1号
天秤40cm、プラビシFL60号(ロスト後L40号)、クッション30cm
ウィリー2.5-2号2-3本針、アジ2-1.7号2本針

2010年12月26日日曜日

天気晴朗なれど波高し

「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊はただちに出動これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれど波高し」ロシアバルチック艦隊との「皇国の興廃この一戦」に挑んだ東郷平八郎の打電だ。表題の一文は秋山真之がつけ加えたという。丁字を含む戦術・勝算は明確なれど、困難や障壁は避けえずという心境だったろうか、見事に表現されている。彼の決戦前の自信と不安、高揚と冷静に思いを馳せる。

この打電は(1905年)5月17日、日本海(国際的には対馬海戦と称されるらしい)でのことだったが、(2010年12月)23日以降、東京・相模・房総の各湾もまさに「天気晴朗なれど波高し」だ。毎日晴れ渡るが風が強い。出船中止か早上がりが多い。釣果も低迷、船宿は恨めしかろう。天皇誕生日が今年は木曜で、休暇を入れて4連休としたものの、今日まで釣行見合わせ。24日(金)は休暇を返上して出勤、トラブルに備えた。明日(月)には波風やや収まりそうなので、休暇を取戻して行ってみるか。連合艦隊とは違って俺の場合「天気晴朗波風低し、おまけに潮も良し」でないと勝利は覚束ない…。

2010年12月19日日曜日

天気も釣果も寒いが満足な半日

プリッとした落ちギス♫
2010年12月19日(日)釣行
進丸 8号船 午前シロギス
中の瀬 水深20-30m 大潮
曇り 北の風5-7m 波1m

シロギス 11匹 17-23cm
トラギス、イイダコ混じり

タイもヒラメもヤリイカも確保した。アマダイやアイナメが面白そうだが、いらぬと上さん。冷凍庫もパンパン。嵩張らないシロギスが良い。ひとつテンヤの始まりはシロギス竿を流用していたという。逆にひとつテンヤ竿をシロギスに流用できるのではないか、試してみよう。ピンギスが釣れれば、タックルはそのままに泳がせてみるのも面白いかも。てなことを考えながら、進丸の左舷ミヨシに乗り込む。荒川屋でシロギス大会をやっているからか、釣り人5名と空いている。

始めの三流し、胴突き仕掛け。さっぱりアタらず。天秤仕掛けに代えてようやくポツリポツリと釣れた。ほとんどが20cm以上の良型なので引きが楽しい。ひとつテンヤの癖か、ついつい即合わせして、2回に1回はすっぽ抜ける。もったいない。一呼吸おいて合わせると、呑みこまれている。う~ん、下手だ。丘では晴れているようだが海上は終始、曇り。北風が強く、寒い寒い。船下にくぐり込む潮で広く探れない。が、長さのある竿なので船下に入り込んでも取り回しはきく。15号ではフケ上がるので20号に代える。後半試したライブバイト赤にも喰ってきてなんとかツ抜け。泳がせる15cm以下のキスは結局釣れず。トップの33に対して11匹はいかにも少なく、多分スソだろう。が、捌くのにも食すにもちょうどいい数で型良く、満足。

11時半帰港、渋滞もなく12時半には帰宅。この手軽さが良い。金・土とロクなことなく・せずで文無しの上さんはフテ寝中。代わって猫のように魚好きの愛犬どもがいつものように玄関で大歓迎。焼いて食わせてやろう。

シマノ 炎月ひとつテンヤ240MH、 シマノ 炎月C3000HMGS PE0.8号
胴突き1号2本針、天秤0.8号2本針、錘15-20号

2010年12月12日日曜日

粘り勝ち

朝焼けの剱崎・間口港
2010年12月12日(日)釣行
喜平治丸 8号船
剱崎沖 水深130-160m 波1m 小潮
晴れ 北東の風5-13m

ヤリイカ 14杯 胴長17-40cm
マサバ、ゴマサバ、マトウダイ 混じり

「今日はどこへ行くんですか?」と今シーズン初のヤリイカのポイントを聞く。「剱崎沖。1日にThe Fishingで大塚さんがヤリイカで収録してえっちゅうから、釣れねーから番組にならねーんじゃねーかっちゅうたんだども、5人で20-30だったからまぁまぁみてーで。」と船長、出船前の会話。18日か25日の放映らしい。まだ本格化していないヤリイカを始めるとWEBにあったので、慎重な喜平治丸にしてはめずらしいなと思っていたが、なるほど、そういうことだったのか。釣り人のほうは慎重なようで、絶好調で盛況な3号船アオリイカに比べて、ヤリイカは3名。大型船にもかかわらず仲乗さん含めて4隅だけの左舷トモ。しまった、イカタイ用の泳がせ仕掛けを忘れた、こんな大名釣り滅多にないのに…、まぁヤリイカそのものが釣れなきゃどうしようもない、などと考える。定刻7時に出船。

イカタイなどと欲張ったのがいけなかったのか、序盤さっぱり乗らず。ようやく掛けたらサバに振り落とされる。7本針にパーフェクトが2回、…サバだが。一匹だけ太ったマサバが混じったので持ち帰る。直結に代えてサバは回避できたが、まるでアタリがない。ブランコに戻し、9時になってようやくヤリイカを取り込む。周囲に僚船はない。中盤、群れが小さくてピンポイントなのだろうか、船長も懸命に追う。洲崎沖や沖の瀬に移動せず、あくまでここで粘る腹らしい。収まるはずの風も止まない。12時で4杯。こりゃあダメか、泳がせたかったなー、などと考える。三浦半島に房総半島、遠くに伊豆半島、城ケ島越しに富士山を望む。船上からの絶景に癒される。

大中小のヤリイカ。
右端は胴長40cm
終盤、マトウダイかなー、でもマークの的がないなー、と30cmほどのそれをリリースした。が、帰宅後調べるとやっぱりマトウダイだった。旨い魚らしい、もったいないことをした。その次の流しの落とし込み中、150mの底まであと20mというところだった。不意にフケた後、竿がガタガタ。またサバが回ってきたのかと、ウインチで高速巻き。が、竿の挙動がサバらしくない。もしやと置き竿のまま中速に変更。海面に出てきたのはヤリイカ。1、2、…、なんと4点掛け。サバと勘違いしたので、苦笑いしながら取り込む。再投入で1杯追加。再々投入で、仲乗りさんもデカイっぺと言う胴長40cmと35cmの大型ダブル。都合7杯の大流しになって、ツ抜け、溜飲を下げる。船長の粘り勝ち。その後もポツポツ、終盤の2時間だけで10杯追釣して帰港。船中8-20なので14杯は上出来。名物ラーメンで体をあたため、気分良く帰宅。

シマノ BJSヤリイカ乗り調子165+B、シマノ 電動丸1000SP PE3号
ヨリトリリング、中錘なし、11cmブランコ7本針等、オーロラピッカピカ等、錘120号

2010年12月6日月曜日

2010年バースディ釣行

2010年12月5日(日)釣行
出船前の幸栄丸各船
この時間が好きだ
幸栄丸 7号船
鹿嶋沖 水深20-30m
中潮 濁り潮 波0.5m
曇り時々晴れ 西の風3-5m

ヒラメ 2枚 960g(45cm)、1850g(57cm)

12月1日から全面解禁した鹿嶋がトップ10枚超えと連日爆釣。予約済みの幸栄丸ヒラメ釣り大会に初参加。4時抽選と早いため夜中1時出発できついが3時過ぎには着いてしまった。受付でどの船に乗るかと聞かれ、一年前に世話になった7号船を選択。釣座は抽選で右舷ミヨシ5番。5時半出船。

後半なんとか確保したヒラメ兄弟
3日が冬の嵐で時化休み、4日はウネリが残り低調。時化後かつ潮位差が小さくて流れず、朝から低調。船中ポツンポツンと釣りあげるが、こんなペースではないのだろう、船長も頻繁に移動を繰り返す。3回アタリを逃す。2回は小型がかじっては離すパターン。1回は大型らしかったがサルカン部でハリス切れ(マダイに次いで二度目!サルカンへの結びを見直す必要あり)。9時半になってようやく1kg級を取り込みホッとする。次いで2kg級、これは嬉しい。あと一回アタリがあったが、早合わせのすっぽ抜け。船中喰いが立った流しだったので焦ってしまった…。都合6アタリ2ヒット。打数も打率も不本意ながら、実力として反省多し。船中0-6枚(別船最大は0-12枚、4.6kg)、総じて左舷にアタリが多かった。

船長と大塚さん
協賛各社と賞品
10回目になるというこの大会は、一つの船宿だけで6艘出して100名以上を集める盛況。ダイワ・シマノ・ハヤブサ等多くの協賛を取り付け、7号船には(竿は出さなかったが)大塚貴旺さんも同乗。TVでみるより小柄な印象。釣果の総重量を競う。下船後、計量、片付けと昼食を済ませしばし待つと表彰式。20位の発表4.8kgを聞き、飛び賞その他もなさそうなので、渋滞回避のため早々に退散。身体的にはかなり疲れたが精神的にはリセットできた良いバースディ釣行になった。

アルファタックル パワーインナー船30-270、ABU アンバサダー5500C PE2.5号
ハリス6号60cm-100cm ステ4号50cm、錘80号 小田原型 球型

2010年12月2日木曜日

ほとんど笑い話

引越を手伝った翌月曜日の仕事中、上さんからメール。離別すべく犬の貰い手探す、と。またかでもやれやれでもなく、はいはい、の感。帰宅後確認すると案の定パ。前回暴挙後4週連続で枠内コントロールしたので、二週間分の食費を渡したばかり。ようやく手にしたのに全額パー。足らずに暴挙で取り戻したバッグ類も質屋へ逆戻り。これで9、10、11月の三カ月連続(その前はもう覚えていない)。パ依存など関係なく、要するに何もしなくても喰って寝ていけて弛んでいるに過ぎないと諭し、証人としてバアバに判を貰えと促すと、居させてほしいと。質草の取戻し支援はしなくなって久しい。もはや流すしかなかろうに、いまだに未練を断てぬ様子。無駄だ。

火・水と一文無しで過ごさせたが、そろそろ限界だろうと今日木曜に食費として小額貸す。昼休みに電話あり、古新聞に紛れて出してしまった、と。本当なら金にだらしないただの間抜け、嘘で他に浪費したなら救いようのないド阿呆。いずれにせよろくなもんでない。かつての俺なら怒り心頭であったろう。が、不思議なもので、年単位で修行を繰り返すと、怒りなど通り越して、あきれるだけとなり、今や憐れみを感じるようになった。あたかも悟りを開いたかのような気分で、憐れにもこれからどうやって生きていくつもりなのだろうか、と。今日などはそれも通り越して、可笑しさまで感じた。ともかく、前々回の自殺だ、前回の家出だと大騒ぎにしなくなっただけ、前進だ。

ア依存から回復して今日で4年と53日。残るパニック障害克服よりも、金銭感覚の回復にこれほど手こずるとは。いつも陽気にニコニコ、溌剌としている本来の姿を取り戻す日が来ることを願う。

2010年12月1日水曜日

一歩一歩

前回釣行の翌28日(日)。今日は犬の散歩と釣行記、買い出し、車の整備、PC整備、釣具整理だなと顔を洗っていると、長男から電話。子供が家に持ち込むのはおおよそばい菌か借金だ。聞くと「運転を頼んでいた友達がドタキャンになって…」と相変わらず言い訳が先行するが、要は引越に車を出してくれということらしい。「もう準備はできている」と言うが、約束の10時前に確認の電話をしてみると、案の定「もうだいたいできているけど…」と要はまだできていない。結局11時から軽で2時間ほどかけて3往復する。が、まだ残る半分ほどの荷物準備ができておらず、本人もバテる。休憩と再準備を兼ねて昼休みとし、一旦帰る。3時半頃再開。運送業をしている友達が来てくれて効率は上り(予想通り残り)3往復で5時に終了。近場でなければとても一日で終わらなかったろう。

本人にとっては再出発の意味があるので、丸一日の消費も惜しくはない。先々月「安いアパートに移って固定費を減らして生活を立て直せ。滞納している家賃返済するため紹介してくれと不動産屋に頼めば探してくれるはず」とアドバイスしたのを実行したらしい。元々「そんな高いところではやっていけないぞ」と忠告していたことがようやく身に染みたようだ。何事も理解するのにおよそ5年ぐらいかかるが、ようやく聞く耳を持つようになってきた。続ければこれからも変わっていけるだろう。「仕事目一杯やって、なんとか頭金作った…」と、当たり前のことなのだが、(断られた)借金に頼らず自分でなんとかしたことは大事な第一歩だ(全額かどうかは疑わしいが)。「日曜に疲れさせたから今度夕食おごらせて」と性根はやさしいのだが、これもお門違いだ。朝の「レンタカーをまず借りてもらわないとだめなんだけど…」とか、帰りの「手伝ってくれた友達に夕食おごりたいから金貸して」とか(ともに即却下)、まだまだ手前勝手でその場当たりな考えが抜けないから、社会では認めてもらえず時間もかかるだろう。それでも一歩一歩だ。滞納家賃の他にも奨学金やら年金やら自分で始末するべきものがまだまだ多い。俺への礼や返金は後回しでよいから、なんとか自立することを願う。