2015年8月16日日曜日

旅行雑録 8月12日分 関ヶ原

8月9日~13日の旅行写真はFBに逐次Up。ここでは載せきれなかった写真を記録しておこう。

8月12日(火)は岐阜県関ヶ原を初訪問。家康くんや三成くんと対話しながら点在する関ヶ原合戦の史跡を巡った。

三成くんも大垣城を出なけりゃ、家康くん得意の野戦に持ち込まれなかったろうに。

決戦地は三成くんの本陣の眼前だな。

 三成くんの本陣は関ヶ原が一望できる笹尾山(196m)。なるほどここから眺めるといかに家康くんといえども、登りくる敵を叩ける気がして勝てると思ったに違いない。

長篠の戦いを模倣したか、馬防柵も多重だ。惜しむらくは島左近くんの戦死だが、この男詳しいことはわかっていないらしい。

小西行長くんも奉行職に終始していればよかったものを。北天満山を背後に陣取りは西軍のほうが優位なのだが。

井伊隊の発砲で福島・宇喜多が開戦したのはすぐ近く。

島津義弘くんは、この合戦でもっとも名を上げた西軍武将だろう。包囲されてにっちもさっちもいかなくなった結果、家康くん本陣に切り込むと見せかけて目の前を通り抜け去ったのだから見事。執拗な追撃にもかかわらず薩摩に帰り着いた経路を、毎年青少年が鹿児島まで辿る旅をしているというのだから、頭が下がる。

 井伊・松平隊は先陣を良くしたが、福島正則くんだと言われて右往左往。

東首塚には首を洗ったという井戸も。

こちらは西首塚。古戦場に首塚はつきものだが、東西二つもあるのは関ヶ原ならでは、ではないか。

福島正則くんの陣には大杉が。400年前の当時にも存在していたらしい。こうした植物が語ることができればなぁ。
裏切りの松尾山。小早川秀秋くんの裏切りは有名だが、ここで言う裏切りは登山労力に対するリワードの少なさだ。292mの頂上まで通常40分かかるところを30分で汗水たらして登ったが、戦場が良く見渡せるという以外ほとんど見るべきものがなく、まさに裏切りの松尾山。本当にこんなところに15000人も布陣させたのだろうか?

大谷義継くんは秀秋くんの裏切りを予見していたも言われるが…。
義継くんの陣から見た秀秋くんの陣(左)。望遠で近くに見えるが、実際にはこんなに遠い(右)。一番上に見える山が松尾山。

宇喜多秀家くんは副将格で神社に本陣。

家康くんは一進一退の戦況に苛立ち、桃配山から三成陣まで数100Mの地に前進したが、鼓舞する効果はあまりなかったらしい。首検分の地ににはなったようだが。

夕刻浜松へ移動。焼鳥だいちでしこたま飲み食い。アレンジしてくれたIさんに感謝。